実りの秋だから

 

実りの秋になりました。

意識の面でも、年頭に発した思いが形となって現れて来る時でもあります。

 

例えば穏やかに過ごしたいと発したら、真反対がやって来たりもします。

「えっ?実りの秋なのに?思っていたのと違う!!」

そんなこともあるかも知れません。

 

三次元は、どうしても片方ずつの体験なので、穏やかかどうかは、真反対があってこそわかることで、真反対が来た時にそれをそのまま、あるがまま、受け容れることができれば、その時点で穏やかさがやって来ます。

 

今年の実りの秋は、一見「えっ?これ?」というようなことが来ているかも知れません。

 

そのことに、そーなのね〜と受け容れることができれば、それこそが実りの秋でもあります。

安心して、収穫して大丈夫です。

 

 

以前は、花を飾ることにとても抵抗がありました。

 

ド貧乏をしたことがあると、食べられないことにお金をかけることができなくて。

 

ある時、お花好きの叔母が「花はいいわよ〜。枯れたら捨てればいいんだから」

 

「へっ!?」です。

 

枯れたら捨てる、捨てるということにも抵抗があったのですが、枯れたらありがとうをして、また次のお花をめでることができる。

そういう発想を持ってもいいんだと。

 

以来、お花を飾れることが嬉しくて、お花があるだけで何かこう優しい気持ちにもなりますから、その自分の波長も嬉しい。

 

さらに、お花を生けることも楽しめる。

 

こうしてなくてもいいのだけれど、あったお蔭で、優しく嬉しく豊かにしてくれたお花に、枯れた時には、感謝して手放せる。

 

感謝できることがありがたいなぁと思える。

 

わかってもらえない

例えば、わかってもらえないことが起きたとして。

 

それは、自分が自分をわかってあげていなかったことがどんなことだったかがわかるために起きたこと。

 

そんなことが、他人を通して起きて、感情ががっかり落ち込んでいたら、その自分をわかってあげたい。

本当は、どうでもいいことなのだけれど、今日はじっくり自分をわかってあげよう。

 

本当は、どうしたい?

 

本当は、何を望む?

 

したいことも、望むことも、その都度コロコロ変わってもいいじゃーない。

それでいいんだよとわかってあげたい。

 

 

実りの秋を迎えて

実りの秋を迎えました。

 

意識も。

年頭に発した思いが、形になっても来ます。

 

だから、何かが終わるようなこともあるかも知れません。

理解してもらえないようなこともあるかも知れません。

 

エゴは、終わることに少しの寂しさを覚えます。

だって、頑張ってきたから。

 

その感情も、じっくり味わっていきます。

いい子にならず、寂しいものは寂しいと。

 

本当は、こうしたかったことも、理解してもらえないようなこともあるかも知れません。

わかってもらえなかったようなことも、相手を嫌わずに、自分をダメだともせずに、寂しいとしっかり感じていく。

 

直ぐに立ち直ろうとせず、直ぐに切り替えそうともせず、その自分の感情を味わっていく。

 

しっかりと味わったら、そっかってわかります。

 

目の前が開けていきます。

 

終わるようなことも受け容れれば、それは同時に始まることでもあるから、安心して味わって終わりにしていきましょう。

 

本当は、出来事はどうでもよくて、どんな感情があるかを見ることが大事だから。

 

実りの秋。

まずは、味わっていきましょう。

戦い

戦いを望んでいないのに、何故戦いが起きるのか。

 

一度自分の心を見てみるといい。

 

自分は、どんな自分もO.Kとできているか?

 

自分が、自分を嫌っていないだろうか?

 

自分の正しいが正しいとして、反対を批難していないだろうか?

 

こんな自分じゃダメだと思っていないだろうか?

 

戦いを望んでいない人が、自分と戦っていることをおかしいと思わないと。

自分が自分をどう扱っているかが、出ているからこそね。