砂粒の私

宇宙から見たら。


私なんて浜辺の砂粒1個みたいな感じかも知れない。


砂粒1個みたいなものだから、自分なんていなくても何も変わらないよね。


そんな風に思う。


そんな砂粒1個だから、自分が何をしてもしなくても、いいも、わるいも何の影響も与えることもないよね。


そんな風に思う。


そして、もしこんな風にそれぞれが思ったら。


浜辺の砂粒1個がなくなっても、確かに何も変わらないかも知れないが、こんな風に、1人2人って、一粒ずつなくなったら、浜辺は成り立たない。



そんな砂粒1個だけれど、私には、全体を作っている価値がある。


あなたも同じように、全体にはなくてはならない価値がある。



私は地球に住んでいる。


砂粒1個だから、誰にも影響を与えていないし、地球にも何の影響も与えていないと思ってしまうけれど、地球に住む1人なんだ。


私が心地よく住むために、地球に感謝しながら、地球を労って過ごしたい。


それは、基本の、美味しく食べて、美しいものを見て、隣人と笑い合える日常からできること。


食べる飲む器やお箸。

マイ箸持参して、水筒持って。

砂粒1個がやっていても、地球は何も変わらないかも知れないが、隣の砂粒さん、そのまた隣の砂粒さんがそうしていたら。


この世界の物質を最小単位までにしたら、粒と波の性質になるように、極小の粒が集まれば、大きな物質になっていく。



そして、意識の面でも。

全ては、自分の現れ。

見えていない自分の無意識が、外の人や物、今日見たものが全て自分。


そういう仕組みを知ることで、外との争いがなくなる。


だから、注意深く外の自分を見て受け入れて、見せてくれた外に感謝が湧き出て、自分が安心していく世界を創ることも、砂粒1個の私にできること。


意識して過ごしていかないと、すぐ、「どーせ砂粒1個だから」ってなる。


砂粒1個の私だけど。

されど なんです。





心配は

三次元では未来がわからないから、心配ばかりしていた。

 

その心配は、過去の自分の癖なり決めつけから成り立っているから、見えない未来が、心配だらけになる。

 

いつも同じ。

いつも変わらず。

 

そこから抜けるには。

 

時間と空間のない今を掴む。

 

今を掴んで、今を感じ、今を掴んで、今を感じ。

この繰り返しで、未来の心配が消えて行く。

 

すると

もっと自分を好きになる。

もっと自分を信頼できるようになる。

 

お任せが何だかわかり、自分のポジションも我が薄らいでいく。

 

安心した自分で生きられる。

 

 

エゴまみれからの脱出

エゴは、他人は自分ではないと認識している。

 

そして、この他人に対して、いつもよくあろう、あるいは、他人から認められるようにいたい、そして、その奥には、自分は1番になりたいとまで、対人との比較で生きている。

 

だから、自分はダメだからと一生懸命頑張っていく。もっともっとと。

 

でも、こんなに頑張っても、人から認められないから諦めていく。

そこには、自分なんてダメなんだ・・・ってズンズン重石が乗って、そして、やっぱり認めてもらえないから、ズンズン重石が乗って・・・そうなると今度はひらき直る。

人のせいにして。

 

人のせいにして生きることにエゴは、生きる喜びを見出す。

 

ずっとこんな風に生きて来たね。

つまりエゴまみれ。

 

 

ここから抜け出すことってできるの?

 

全体から見たら、なんのこっいゃない。

 

要は自分が自分を認めていないから、相手から認められないが返って来ていただけだなんて。

へなへなになった。

 

そして、認めてくれない相手も自分が映っているだけだから、相手だって自分を認めていないわけ。

その二人が引き合って(笑)

引き合うというか、自分なので、自分が現れて来ます。

 

 

 

私が師から言われたこと。

「私って素晴らしい」

 

そんなこと、おこがましくて言えなくて。

 

そんな風に言いたいけれど、そんな人物ではないし。

 

うだうだ言えないでいたけれど、私って全てをいう。

本当の自分のことをいう。

 

まずは、エゴから脱出するポイントとして、考えそうになったら、落ち込みそうになったら、いじけモードに入ったら、

 

「私って素晴らしい」を100万回位言っていればいい。

 

何だかわからないけれど。

エゴに引っ張られても、気付いたら脱出できている。

 

そして、またエゴまみれになっても、「私って素晴らしい」

 

この繰り返しで、ほんと、自分ってすごいってわかる。

 

発しているものが返ってくることが見えるようになるから。

 

 

 

 

幸せ

たぶん、みんな、幸せになりたいって思って生きていることでしょう。

 

でも、何かがいいことがあれば幸せで、そうでなければ幸せでない?

 

 

三次元は、どうしても自分という肉体があっても、背中側を見ることができない一方通行。

 

だから、見ている方向しか見られない。

 

全体が見られない。

 

本当は、パーフェクトな三次元。

 

でも、見ている方向が一方方向だから、人と比べる性質のエゴで人を見ていたら自分を見ることができない。

 

今幸せかどうかを、人と比較している視点で決めていると。

 

それでは、いつまでたっても、幸せと不幸を行ったり来たりする。

 

そうではなく。

 

自分を見る視点が持てると、父と母、もの凄い確率でできた自分を「すごい!!」と思うし、ここにいるだけで、「素晴らしい!!」とも思える。

 

自分を見る視点は、幽体離脱するような、上から見る位置にいたら、この肉体の中に入ってあれこれできる、できているだけでも、「凄い!!」と思える。

 

幸せ。

 

この視点で、そう感じることができると、とにかく何だかもう、幸せなのです。

 

意識だけだった自分が、この肉体で体験するいいも悪いもすべてのことは、全て感動なことだったでしょう。

 

この自分を忘れちゃったので、いいがよくて、悪いに抵抗しまくりになってしまったのよね。

 

だから、バランスを崩しちゃったのよねってわかっていくことも、幸せ。

 

そうなるともう、自分が自分をどう思い、感じ、扱っているかが、何よりも大事になっていくのです。

それが、体験となって返ってくるから。

 

 

裸の王様に

裸の王様に、王様裸だ!って言える素直さがあると、自分を生きれるようになる。

 

そして、そう言われた王様も、「そーおー♪」って言えれば、何の問題もないよね。