不満

不満ってどこから出て来るのだろう・・・

 

空間からポッと出てきたわけではないし、出て来るとしたらその本人から出てきている。

 

だから、何かに対して出て来た不満の元は自分にある。

 

それ(不満と思った出来事)を不満と感じる元が自分にある。

 

不満は、何か出来事があって出て来たのだけれど、実は出来事はどうでもよくて。

 

自分だけ足りない(と感じていた)、自分だけ見てもらえなかった(と感じていた)、自分だけうまくいってない(と感じていた)、自分を認めてくれてない(と感じていた)、自分だけダメだというように感じてしまっていたベースから立ち上がっているものだと思う。


それを反対から言うと、あの人だけ持ってる、あの人だけ特別扱い、あの人だけうまくいってる、あの人だけお金持ち、あの人だけ綺麗、あの人だけなんちゃらかんちゃら・・・

 

単純に人との比較で生まれている。

 

比較していたベースがあるから、自分が満たされていないと感じている所から、不満となって出ているように思う。

 

では、満たされていないという感覚は、いつどこで感じたのだろう。

 

そこからその原点を知ることが出来ると、この不満は、三次元のマジックであることにも気付けると思う。

 

本当は、全て何もなくて何も欠けてなくて。

満ちみち溢れていた愛そのものなのだけれど、三次元は、片方ずつの体験だから、たまたまどちらかの体験の時に、自分で自分は満たされていないと決めてしまっていた。

 

外しか見ることの出来なかった目だから、誰かを見て、自分の基準を作ってしまって。

このベースが自分にあると、そりゃーいつまでもこういう出来事に右往左往するわけよね。。。

だって、ベースが変わらないんだもの。

 

あーあー、自分の人生何やってたんだ!!!

 

そう気付いた人達が、仕組みを知ってイキイキ過ごし始めてる。

まだ間に合うし、どっちで生きていてもいいのだけれど、自分が自分にどうありたいかは、決意は必要でした。

 

日々、コツコツ。

自分のベースを替えていく作業は、楽しい♪

時に楽しくなくなっても、これがエゴかーってわかるから不満はないです。

だから、不満から得た満たされている〜ってこともないです。

日々、これでいい!だけです。

 

50 50

プラスもマイナスも50:50

いいもしんどいも50:50

どちらも同じだけあるけれど、この世界は、片方ずつ体験するようになっている。

ごはん食べながら歯が磨けないように。
片方ずつ順番の体験。

けれど、内側はプラスマイナス揃っていて、分かれていない。

揃っているからこそ、パーフェクト!

体験として出てくる時に分離して、時差を経て出て来る。

この分離は、自分のジャッジによって出て来てるもの。

だから、しんどいを受け容れることは、怖くない。

パーフェクトな、カンガルーのフカフカポケットのような内側で、しっかり受け容れると、プラスもマイナスもパチン!っと合わさって消滅するから。

何もない…

そうとわかっていてもしんどい時は、あーしんどいって。
泣いたり落ち込んだりも極までいけば、反対の極が現れるし。

だから、しんどい時は、カッコつけず、思いの全てを出す。
泣いて凹んで落ち込んで。

そして、この行ったり来たりに疲れたら、俯瞰の位置から自分を眺める。

そっかー、こういう両面があって体験してたんか〜〜と。

そっかっと。

本当の自分は、ここにある。
三次元の自分は、分けて片方ずつ体験してる。

好き 嫌い

これ好き

 

これ嫌い

 

そうなんだ〜

 

そうなんだ〜

 

それでいいじゃない♪

 

心に傷があるとそれで止めておけない

 

互いに批難しあい 落ち込み 自己評価を下げていく

 

下げた自己評価を上げたくて また今日も何かと対比して優越をはかる

 

認めてもらいたくて外側に働きかける

 

その視点を自分に向けること

 

誰かではなく自分に向ける

 

自分の傷を癒すことに全力を尽くす

 

犬が教えてくれたこと〜かわいそうなのは私だった

この三次元は、表裏一体になっているけれど、これが '物' では当たり前過ぎて、特に意識しないけれど、'思い' に関してもプラスマイナスが同じものとは思えないことの方が当たり前だろうか。

人は、自分で自分の事が見られない。
ここはどうすることも出来ないものだとして、日常意識せず過ごしてきた事だろう。

私は、小さい頃、どうにかして首が360度回って見ることが出来ないかなぁ〜と思っていた。

そしてこの世界は、自分の内面が外に映し出されているということがわかるまで、そこから時間はかかったけれど、わかることが出来て、今現在も外を通して自分を知ることに感謝と感動の日々を過ごしています。

今日は、そんな中から一つ。
このBlogをお読みくださっている方がもしいらしたら、このこともご自身の事として受け容れていただけたら嬉しいです。

今から5〜6年くらい前、愛犬と公園を散歩していた時のこと。

公園で赤いミニコーンを立てて、そこをローラースケートのようなもので滑っている1人の男性がいました。

その脇で奥様かな?と、2匹の小型犬が座っていました。

2匹は、繋がれていましたが、ずっとそこにいた様子。

遊びたい様子でパパ?男性の方を見ては吠えていました。

すると、その男性は、滑ってきては、2匹の頭をバチコーン!とばかり叩きました。

えっ!?

少し遠目からでもその様子がわかりました。

愛犬連れて散歩を楽しんでいた私の目の前に、2匹のわんこが吠えるたび、ローラースケートで赤のミニコーンの間を器用に滑ってきては、
バチコーン!!
と叩いています。

何度も何度も。

2匹のわんこの側にいた女性は、特に当たり前のように何も言わず、せず、携帯を見ていたようでした。

この光景が何度も目の前に現れます。

かわいそう!!

やめて!!

喉まで出かかりましたが、これは私の内側。

この光景を見て感じたことをみます。

そして、気付きました。

私がかわいそうなんだ!!

この世界は、同時存在の表裏一体。
このことを知らなければ、この男性を憎みバカにして文句を言っていたことでしょう。
この仕組みを知らなければ、この女性に対しても文句を言っていたことでしょう。

そこを愛犬と通り過ぎ、自分との対話をします。

外に見聞きするのは、全て自分の内側。
自分が自分にしていること。

私が、かわいそうだったんだ。

私が、自分のいいたいことを否定していたんだ。

沢山気付きが起きて泣けてきました。
愛犬もそっと私に寄り添ってくれます。
それを見て愛犬に感謝と共に、大丈夫!こんな私だったけど、私は、私に寄り添ってくれた。

先日、愛犬とその公園に行った時、その男性と2匹の小型犬がいました!
5年前に見た同じ場所で、赤のミニコーンを立ててローラースケートをしている男性が!
2匹のわんこを連れて。
5年ぶりの再会です。

けれど、男性の風貌が変わっていました。
髪の毛短く作務衣が似合うような雰囲気でした。
2匹のわんこも静かにしていました。

自分を受け容れると、外が変わります。
表裏一体同じものを、自分がどちらかに傾いていると、その反対側が外に映し出されます。

受け容れると、表裏一体になるのでどちらでもなく、ただあるがままでそこには良し悪し何もありません。

穏やかに通り過ぎました。

穏やか=社名でもあるcalm です。

そして、愛犬は、文字通り犬とは愛そのものということでもあります。

ペットや赤ちゃんは、私達大人の全てを受け容れてくれています。
全てをそのまま受け容れている、これが愛なんだと思っております。

こうして、日々愛犬が教えてくれる(見せてくれている) '私' をプラスの性質、マイナスの性質どちらも受け容れて過ごさせてもらっています。

縁あって、ドッグヒーリングというお仕事もしておりますが、ご縁をいただいた皆様に、愛犬さんが教えてくれる本当の自分をゆっくりでいいので知って欲しいなぁと思います。
この仕組みを、コツコツ理解して実践して愛に戻って、愛犬と永遠でありたいと思っております☆

お祝い

インストラクターの一郎さんからいただいた9周年のお祝い。


おしっぽは何処?(笑)

9周年に因んで9匹。
10周年には、この鯛と一緒に成長出来ていますように。


インストラクターの美佐子さんからいただいたお祝い。

10周年の頃には我(蛾)が無くなり、蝶になってどの次元でも遊べていますように(笑)
温子インストラクターからもお花を。
皆様のお蔭です♪
本当にありがとうございます。