エゴまみれからの脱出

エゴは、他人は自分ではないと認識している。

 

そして、この他人に対して、いつもよくあろう、あるいは、他人から認められるようにいたい、そして、その奥には、自分は1番になりたいとまで、対人との比較で生きている。

 

だから、自分はダメだからと一生懸命頑張っていく。もっともっとと。

 

でも、こんなに頑張っても、人から認められないから諦めていく。

そこには、自分なんてダメなんだ・・・ってズンズン重石が乗って、そして、やっぱり認めてもらえないから、ズンズン重石が乗って・・・そうなると今度はひらき直る。

人のせいにして。

 

人のせいにして生きることにエゴは、生きる喜びを見出す。

 

ずっとこんな風に生きて来たね。

つまりエゴまみれ。

 

 

ここから抜け出すことってできるの?

 

全体から見たら、なんのこっいゃない。

 

要は自分が自分を認めていないから、相手から認められないが返って来ていただけだなんて。

へなへなになった。

 

そして、認めてくれない相手も自分が映っているだけだから、相手だって自分を認めていないわけ。

その二人が引き合って(笑)

引き合うというか、自分なので、自分が現れて来ます。

 

 

 

私が師から言われたこと。

「私って素晴らしい」

 

そんなこと、おこがましくて言えなくて。

 

そんな風に言いたいけれど、そんな人物ではないし。

 

うだうだ言えないでいたけれど、私って全てをいう。

本当の自分のことをいう。

 

まずは、エゴから脱出するポイントとして、考えそうになったら、落ち込みそうになったら、いじけモードに入ったら、

 

「私って素晴らしい」を100万回位言っていればいい。

 

何だかわからないけれど。

エゴに引っ張られても、気付いたら脱出できている。

 

そして、またエゴまみれになっても、「私って素晴らしい」

 

この繰り返しで、ほんと、自分ってすごいってわかる。

 

発しているものが返ってくることが見えるようになるから。

 

 

 

 

幸せ

たぶん、みんな、幸せになりたいって思って生きていることでしょう。

 

でも、何かがいいことがあれば幸せで、そうでなければ幸せでない?

 

 

三次元は、どうしても自分という肉体があっても、背中側を見ることができない一方通行。

 

だから、見ている方向しか見られない。

 

全体が見られない。

 

本当は、パーフェクトな三次元。

 

でも、見ている方向が一方方向だから、人と比べる性質のエゴで人を見ていたら自分を見ることができない。

 

今幸せかどうかを、人と比較している視点で決めていると。

 

それでは、いつまでたっても、幸せと不幸を行ったり来たりする。

 

そうではなく。

 

自分を見る視点が持てると、父と母、もの凄い確率でできた自分を「すごい!!」と思うし、ここにいるだけで、「素晴らしい!!」とも思える。

 

自分を見る視点は、幽体離脱するような、上から見る位置にいたら、この肉体の中に入ってあれこれできる、できているだけでも、「凄い!!」と思える。

 

幸せ。

 

この視点で、そう感じることができると、とにかく何だかもう、幸せなのです。

 

意識だけだった自分が、この肉体で体験するいいも悪いもすべてのことは、全て感動なことだったでしょう。

 

この自分を忘れちゃったので、いいがよくて、悪いに抵抗しまくりになってしまったのよね。

 

だから、バランスを崩しちゃったのよねってわかっていくことも、幸せ。

 

そうなるともう、自分が自分をどう思い、感じ、扱っているかが、何よりも大事になっていくのです。

それが、体験となって返ってくるから。

 

 

裸の王様に

裸の王様に、王様裸だ!って言える素直さがあると、自分を生きれるようになる。

 

そして、そう言われた王様も、「そーおー♪」って言えれば、何の問題もないよね。

そっか

何か言われて、「そっか」と言えれば、問題が問題でなくなることは、多々あるのだけれど。

 

エゴは、人からよく思われたくて、一生懸命よくあろうよくあろうと生きてきたので、そう簡単には言えない。

 

だから、事が大きくなってしまう。

 

まぁそれも、エゴにとっては、生きている証みたいなものなのだけれど。

 

だから、この肉体をエゴに使われてしまって、本当の自分を生きられないので、さらに苦しくなっているのだけれど。

 

人を気にして生きていくのではなく、自分に意識を向ける。

 

自分に注目することで、人との関係も整ってくる不思議。

 

不思議でもなんでもないこの世界の仕組みを、自分のために使う。

 

負の連鎖を解くことが、もの凄く面白くなってくると、自分を生きれるようになる。

 

個人セッションで、ぜひみたくない自分の決めつけ、見つけて外してみてください。

 

泣いたカラスがもう笑った

自分と向き合っていた時、「泣いたカラスがもう笑った」というフレーズが出てきて、この言葉に、無性に腹が立ったことを覚えています。

 

何故だろう。

 

泣いたカラスがもう笑った。

小さい頃、そういわれることが、馬鹿にされているようで嫌だった。

 

泣いたカラスがもう笑った。

大人でもいるじゃーないですか。

何かに落ち込んで、どよ〜んとしていて、皆さん私をかまって という雰囲気を人前で醸し出している人。

 

そして、どうしたの?大丈夫?

大丈夫だよ!頑張ろうとか、あの手この手で慰めていると、立ち直ってケロってする人。

大嫌いでした(笑)

 

けれど今、泣いたカラスがもう笑ったは、瞬間瞬間に生きている感じがして好きになりました。

 

いつも、人の目や人からの評価を気にして、自分を生きていなかったから、今を生きていなかったのです。

今の自分にO.Kが出せないのですから、発しているものが返ってくるこの世界では、いつもO.Kと思えることが返ってこない。

 

常に過去の反省会と未来の心配ばかりして、今を生きていなかったのです。

 

だから、いつもよくありたいと思うからこそ、人前では絶対泣かない!って決めていたし、泣くことは迷惑をかけると思っていたので、なおさら、緊張もして生きていたように感じます。

 

そう決めつけていると反対の人が外に現れます。

だから、自分はとても我慢して行っているのに、簡単に泣いて笑っている人が嫌いだったのです。

 

こうして、自分の決めつけを見て受け容れると、こだわりがなくなります。

 

それが今を掴むことにも繋がっているとは!

 

今を掴むと、感情もしっかりと出せるし、ありのままの自分でよしとなれる。

こんな楽に生きられるなんてね。

 

泣いたカラスがもう笑った。

 

こうして、私としているエゴが自由にしているのを、本質の私という視点は、そのままを見ることができました。

 

気になる言葉には、自分を楽にしてくれるお宝が隠れていました。